2012年11月11日

ファイターズがファイターズであり続ける理由

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ダルビッシュ、小笠原、新庄、高橋信二、森本、セギノール、坪井、建山、木下、伊藤、清水、押本、木元、田中幸、立石、金村、マイケル、稲田、橋本、小田、川島、鎌倉、岡島、マシーアス、ディアス、トーマス…。

DVD『BIG DREAM!〜コンプリート2006 北海道日本ハムファイターズ』を久しぶりに見ていて、2006年にファイターズが日本一になるために共に戦い、そして、今(2012年シーズン)はもうチームにいない選手がこれだけいることに驚きました。
逆に、あの時のメンバーで今年もファイターズのユニフォームを着ていたのは、稲葉・金子誠・田中賢・武田久・武田勝・鶴岡・八木・飯山・中嶋・紺田ぐらい。(※あくまでもDVDで確認できた者に限りますが。)
当然、監督・コーチも当時とは大きく違っています。
プロ野球チームは選手無しには成り立たない。
しかし、わずか7年間にこれだけ選手が大幅に入れ替わっても、「ファイターズ」がやっぱり「ファイターズ」なのがふと不思議に思えました。
もちろん、「北海道日本ハムファイターズ」という名前のプロ野球チームが存在する限り、誰が入団し、誰が退団しようとも、「ファイターズ」は「ファイターズ」でしょう。
ただ。ファンが“自分たちのチーム”として、愛し、応援を続けるのは、決してチーム名という「枠」が同じだからだけではありません。
上記に挙げた選手たちの中には、納得して引退した選手もいれば、戦力外を告げられて否応なく野球人生を終えた選手もいる。また、自らチームを離れた選手をいるし、トレードによって涙を流して他球団へ移った選手もいました。
彼らのように、一軍で戦った記録や記憶を残すこともなく、ファイターズのユニフォームを脱ぐことになった選手を含めれば、2006年からの7年間に限定しても、「ファイターズ」に関わった選手の数は相当数に上ると思います。
折に触れて懐かしい選手、何かきっかけがあれば思い出す選手、残念ながらほとんど記憶に残らない選手も、もしかしたら忘れられてしまう選手もいるでしょう。
それでも。
今もいる選手も、今はもういない選手も、長い年月でも短い期間でも、「ファイターズ」のために戦ってくれた選手たち全ての力があって「ファイターズ」は「ファイターズ」として存続し、“自分たちのチーム”としてファンに認識され続けていくのだと思います。
ファイターズだけではありません。
2006年当時の映像の中と現在を比べてみれば、他球団の選手たちにもそれぞれに大きな変動が起こっているのがわかります。
ファイターズに関係した選手を例にしても、交流戦で手痛い目に合わされたジャイアンツ・二岡が今では心強い味方であったり、今季限りで退団した吉井コーチは、2006年当時、バファローズの現役投手としてファイターズ打線と対戦していました。
先日トライアウトを受験した木田さん、現在はベイスターズにいる藤井投手とも、スワローズと対戦した交流戦では“敵”でした。
ファイターズで起きていることは、同じく他球団で起きていることでもあり、過去の日本プロ野球があるからこそ、今のプロ野球界があります。
いいことも悪いことも。
嬉しいことも悲しいことも。
思い出しても、忘れたままでも。
今立っている「地面」の下には、分厚く堆積した記憶と記録の地層が広がっています。

移転してからわずか9年。
「北海道日本ハムファイターズ」の地層は、まだまだ薄いです。
けれど。地層は確かにあり、選手も首脳陣もファンも、その上にまた新しい層を一年、一年重ねて、みんなで「ファイターズ」を紡いでいくのだと思います。
ファイターズがファイターズであり続けるためには、どんなときでも全力で戦う選手だけでなく、どんなときも彼らを「見る」、そして、なんとなくでも「記憶する」存在としてのファンも絶対に必要です。
2012年の“地層”の上に積み重なる2013年がどのような“層”になるのか。
来年もファイターズと一緒に、“歴史”を創っていきたいと思います。
頑張ろう!「ファイターズ」!!





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posted by こなつ at 22:40| 2012オフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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